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夕方、陽が沈み、真っ暗になる前の、淡いブルーの世界。
夜明けの次に、この時間帯の空が大好きです。



太陽が沈み、昼間の暑さを忘れさせてくれる風がさっと吹き始める。
スイッチされる昼と夜、そして気温。
間(はざま)の時間に吹く風は、いつも、何かが変わるような予感を秘めている。
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私の学生時代の友人が亡くなり、名古屋まで行ってきました。
名古屋駅に着くと、前日、雪が降っただけあって、東京と比べて、ぐっと空気が冷たい。



電車に乗りながら、雪景色を見ていたら、なんだか、名古屋に降った雪は、友人が「驚かせてごめんね、でめ、せめてこれで許して」と言っているような気が。そんな、茶目っ気のある人でしたから。
しょうがないな、とため息ひとつ…車窓の雪景色を見ながら、葬儀場に向かいました。

最近思うのは、近しい人程、亡くなった実感が湧かないこと。
いつも、傍にいるような気がして、本当に居なくなったんだっけ? と錯覚を起こす。

お坊さんが、最後に仰った言葉。
「チャンネルを合わせれば、感じることができるのです」
分かりやすい表現で、その事を説明して下さいました。

本当に、声が聞こえる訳ではない、本当に見える訳ではない。
でも、チャンネルを合わせると、その人が語りかけている気がする。
その「気」は、確実性を持っていなくても、確かにその人の気持ちが伝わっているのだと。
勘違いでも良いと思う、そう思えたら、それがその人の声だと。

未だに、消せない携帯番号が何個かあります。
掛けたって当然繋がらないけど、名前を見ると、気持ちは伝わった気になります。
あくまでも、そんな「気」ですが。

肉体失おうとも、まだまだ続くよ。


スカイツリーには、まだ行っていません。

まぁ、それはそうと、東京タワーを見るとホッとします。
東京に居るなっていう、実感が持てるというか。
スカイツリーができたことで、東京タワーに対して叙情感も足された感じがする今日この頃。
あ~、私は昭和の人間なんだな~、の再認識。
みなさんの、そんな風に時代を感じる建造物はなんでしょう?


車で福島の小名浜から海岸沿いに北上するように車で走る。

福島の被災地を訪れるのは初めてだ。
行かなければと思いながら、ちょうど1年8ヶ月目の今日、足を踏み入れた。

海沿いに住宅街が広がっている風景を見ていたが、、いきなり何もない場所が現れる。



海が目の前にあり、すぐ後ろに山が迫っている場所。
防波堤から10m程離れていたところに、かつてあったであろう家の痕跡だけが残されて、広がっている。

また、通りがかった学校の校庭には、処理を待つ残留物がうず高く積まれている。



その残留物の上には、草が生え、年月が立ち始めている様子がわかる。

奥の体育館を見ると、入口付近が、強い力で曲げられた痕跡が、まだ生々しく残る。



プールを囲っていた塀など、全てない。
プールから出入りする手すりはひしゃげている。



この絶望感を、どう自分の中で処理して良いのか分からなくなる。

その学校の前に、観光バスが止まる。
観光客が、被災地をカメラに収める。
違和感を感じるが、でも、私も今同じ事をしているのだ。
見に来ているのだ。
バスガイドの人が、参加者に現状を話しているのを、紛れて聞く。
「もう、ここは、学校として機能することはないでしょう」という言葉に
そこにいる人々は「そうですか…」としか答えられない。
私も、心の中で「そうですか…」としか答えられなかった。

観光バスの人々から離れ、また、北上する。
少し丘に上がると、おそらく被害はあったのだろうが、家は残っている。
少しの地形の差が命運を分けた事を実感する。

そして、また、何もないエリアへと突入する。
再び車を止めた場所は、防波堤の側に神社がある場所だった。
人々の心を支えようとしているのか、私たちが希望を願うためにあるのか、神様がそこにいた。
近づいていくと、一人の年配の男性が、雑草を取ったりと、神社の世話をしていた。
私が近づくのがわかると、「来てくれて、ありがとう」と優しく声を掛けられた。

正直、何かできることをしに来た訳ではない。
今の現状を知っておかなければならないという、気持ちだけで来ただけなのだ。
でも、その気持ちに「ありがとう」と言われたのだ。

今できることが忘れないことであることを、痛切に感じさせられた。
そして、今まで来なかったことの後ろめたさのようなものを、「気にしなくていいから」と言ってもらえたような気がした。
これは、私の勝手な想像かもしれないが。
それだけ、「ありがとう」が心に響いた。

少し、この辺りの現状や、住んでいた人たちのお話を聞かせてもらった。
たくさんのジレンマと向き合っているが、決して悔しさではなく、あきらめではなく、それを含めて新しい生活に踏み出している姿は、寡黙ながらも、ひたむきさを感じました。

かつて、この道路の横には家が立ち並んでいた。



今、失われた建物の痕跡は、遺跡のような佇まいをしている。
でも、なぜそうなったのか。
忘れてはいけない、何があったのか。
忘れてはいけない、そこに今も生きて、暮らしている人たちがいること。
その言葉が、私の中に、繰り返し刻まれていきました。

そして、地震、津波、メルトダウンという、1つの要素だけではない、複合された被害であることも、改めて痛感するところでした。

最後に、お話をしてくれた方が今の願いを、ぼそっと言われました。
「忘れないでほしい」と。
忘れません。

365日は、早いというが
その倍はどうなんだろう。

何かが確実に変わっている時の流れを持っている

昨年はどうだっただろう、と良く考えたりするが
2年前とは、どうなんだろう。

変わろうとして、時を過ごしていれば
振り返ると、確かに変わっているように思える。
それが気のせいでも良い。
自分にとって、変わったと思いたい。

変わりたいと願っていれば、きっと変わっている。
偽りではなく、心が素直に頷ける変化が、きっと訪れている。


toki101022.jpg


街の変化は大きい。
最初は、新しいと思っていても、自然とそれに慣れていく。
そして、いつか、それが当たり前になる。

懐かしいと思えるようになったら、それは変われた証拠なのかもしれない。
そんな風景が、心に積み重ねられ
私が積み上げられていく。


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