なぜ、こんなことになったのだろうと、本当にたくさんの『なぜ』がありました。
彼が亡くなった当日から翌日にかけて、時任が感じていたことを書きます。
彼を見つけた時、なぜ、こんなことになったのか。
彼の顔に手を触れると、まだ頬は柔らかいのに冷たい。
どんなに温めようとしても、戻らないのは、なぜ。
最初は、彼がいなくなったことさえ、わかりませんでした。
時間の感覚がなくなり、気が付けば、とても時間が過ぎていた。
何時に人が来る、と聞かされても、それがどれぐらい後なのか全くわからない。
5分後、という感覚は持てるのだけれど、それ以上は、なんど時計を見ても、今私がいる時間軸が入ってこなくて、わからない。
夜、シーチャのごはんのために、1回目、自宅に戻る。
葬儀屋さんに用意してもらいたいと言われた写真を探す。
なぜ、私は彼の遺影を探しているの?
ほら、こんなに笑ってるよ。
そうそう、ここ行ったね。今度はあそこへ行こう。
そんな会話が耳の奥に響く。
どの写真が良いかみんなに見て貰うと「この顔は笑ってるね、いいね」と、私が彼を撮った一枚が選ばれた。
もう逢えない笑顔を撮ってしまったのかと、複雑な心境。
あの笑顔を撮っていなければ、遺影になんてならなかったのに。
朝、またシーチャのごはんのために2回目、自宅に戻る。
彼の手に数珠を握らせるため、数珠を探す。
そうそう、以前法事で、あなたの数珠の場所がわからなくて、私、持って行けなったことあったね。
今度は大丈夫だよ。
一緒に閉まってあった私の数珠も取りだす。
そして、自分の喪服の用意をする。
なぜ、あなたのために、今私は喪服を着ることになったの?
なぜ、私が喪主なの?
なぜ、あなたの棺に入れるために、あなたの大好きなものを選んでいるの?
確かに、私が死ぬより、あなたが先に死ぬほうが安心だと思ってたよ。
その日は突然くるというが、まだ頭は回らない。
きっと、心の防御作用のおかげだろう。
あ、まだ、あなた栗ご飯、全部たべてないでしょう。
冷凍してあった栗ご飯を急いでチンして、彼のためにおにぎりにして一緒に持って行く。
不思議な日常の延長。
まだ、数時間前まで行われていた生活を維持しようとして、自分がどこにいるのか、私があなたにとって、どんな存在であったかを確認しようとしている気がした。
霊安室に戻る。
彼の着替えがはじまる。
白装束、意外と似合っていると思ってしまったのは私だけだろうか。
少し早いハロウィンの仮装、「驚いた?」って言って、起き上がればいいのに。
髭剃りと、顔色を明るくするメイクを手伝う。
髪を梳かしてあげると、一ヵ所引っかかる。
固まっている。
その位置は、横になっていたとき、目の位置にあった髪の毛、涙の跡。
早く気づいてあげられなくて、ごめん。
なんでしょうね…。
棺に入れるもの。
彼の洋服の一式を着せてあげるかのように全ていれる。
Tシャツ、デニム。
汗をかいた時用に、デニムの後ポケットにハンドタオルを入れる。
ここだよ、ここ、わかった?
Tシャツの着替えと、寒くなった時用の上着。冬でも履いてたビーサン。
時計も忘れずにね。
本も、一緒に入れておくね。
あ、カバンを持って来るのを忘れた…。
まぁ、私らしい、ということで。
そうそう、美味しいものがあったら、ご飯が食べられるように、お揃いのお箸、入れておくよ。
私の分も入れておくのは、美味しいものがあったら、私にも食べさせてね、ってことだよ。
左利きだった彼の左手の下に入れた。
あの人が向かう世界がどんな世界か、具体的にはわからない。
でも、あなたらしく、いられるように、身支度を整えた。
妻だから、わかること、できることを、淡々とこなす。
死んでいようが、あの人に対して何かをしてあげられていることが嬉しかった。
この肉体が無くなれば、もうしてあげられないから。
棺の蓋が閉められる。
そうなると、もう、彼の顔に触れることができない。
彼の棺に頬杖をつきながら、プラスチックの窓越しに、ただ眺めるだけ。
トイレに行こうと霊安室を出ると、私の足がピタっと止まった。
横を見て見ると、扉の向こうに、黒塗りの車が止まっている。
この車が、彼を連れて行く。
時間、時間、時間。冷酷に時間が流れているように思える。
でも、この悲しみと苦しみは時間しか解決できない。
いっそう、もっと早く流れてくれればいいのに。
でも、時間は正確に流れていく。
その、時間に身を任さなければ。
行く時には、大きな遺影を持った。
帰りには、壷に入った彼を持った。
彼を抱えているという実感はない。
全てが幻影に見える。
彼が泣いているかのように雨が降っていることさえ、気づいていなかった。
彼を連れて家に戻る。
親戚の方々も一緒にお線香をあげるためにやってきた。
なぜ、こんなに家にたくさんの人がいるの?
なぜ、うちに祭壇ができあがっているの?
いつか、みんなをうちに呼ぼうね、って話したけど、なぜあなただけいないの?
なぜかしらね。
頭でわかっていても、心が拒否するから『なぜ』が出てくる。
でも、徐々に頭と心が近づいてくる。
寝ていないことも、食べていないことも思いだしてくる。
食べなければ。
ようやく、二人きりになれた時、なぜが見えはじめてきた。
あの朝の出来事により、一週間前まで普通に過ごしていた延長が断ち切られたような気がした。
でも、式も終えて、部屋に戻ると、まだ続いているような感覚。
ただ、目に見えないだけ。
寂しくないのか、と言われたら、存在していた記憶があるから、あまり寂しくない。
逆に、彼の方が全く別の生活になるわけで、その方が戸惑うような気がしました。
今の私は、彼と守りたかった日常を、ただ変わらず過ごすだけ。
また、そこから、いろいろ見えてくるように思えます。
人には、慣れる、忘れる、という便利な機能がある。
そして、受け入れる、という思考回路も。
ということで、改めてですが、時任、未亡人になりました。
目に見えるものが美しい。
私は生きているのだと、しみじみ思う。
